2025年05月18日
異動はお互いに新たな音楽をつくる機会
今日湖東高校は、中間テスト前日のためお休みです。
どのぐらい勉強しているか、わかりませんが、
学校の中心は授業。
授業の総まとめがテストです。
テストにしっかり取り組むことがすなわち高校生である一番の証。
好き嫌い、得意不得意は関係ありません。
私は授業が好きで、いつも興味深く受けていました。
得意な科目は、日本史と世界史、それに政治経済。
苦手な科目は、数学と理科(生物・地学)でしたが、
嫌いではありませんでした。
生物の中の遺伝のテストは、定期テストで5点。
何もわからなかったのですが、追試のために猛勉強したところ、
途中でどんどん理解が進み、楽しくなってきて、追試は満点でした。
もともと何かを知ったり理解したりするのが好きで、
そのために努力することをいとわない性格。
要するにジャンルを問わないオタク気質ということです。
数学も、数列の小テストで5回連続0点を取ったことがありますが、
それでも、初歩の初歩が理解できたときは本当にうれしかったです。
勉強はつらいもの、つまらないもの、嫌いなもの、にしているのは、
実は大人なのかもしれません。
本来学問は楽しいもの。
私は少なくともそう思っていますし、先生方の大半はそのように思って教師をしているのではないかと思います。
午前中に近くの理容店へ行って髪を切ってきました。
次に行けるのは、おそらく6月末。
私はくせ毛なので、そこまでほっとくと大変なことになります。
同い年の、もう30年お願いしている理容師さんです。
午後は簡単に昼食をとったあと、
スコアを出してきて読みました。
湖東高校の定期演奏会とコンクールで演奏する、「天女の舞」とマーチ「メモリーズ・リフレイン」です。
「天女の舞」は、前もお話ししましたが、松下倫士さんの曲。
もともとはアンサンブル曲で、この楽譜も11人で演奏できるように書かれています。
生徒たちは昨年11月の吹奏楽祭で演奏していて、湖南高校に次ぐ準グランプリを獲得しています。
今の編成から考えて、違う曲もと思ったのですが、
7月13日の定期演奏会からコンクールまで3週間弱。
定期演奏会の曲もまだ全然間に合っていないので、
2・3年生が一度仕上げたことのあるこの曲にしました。
私はコンクールではほとんどクラシックのアレンジ曲しか演奏したことがないので、
この曲の譜読みがめちゃめちゃ大変です。
何度も譜面を読み返し、ある程度イメージできたところで音源を聴きながら確認していきました。
さらにこれから生徒たちがどう演奏しているかを聴きとっていかなくてはなりません。
バンド維新を思い出します。
バンド維新は、作曲家の方々が小編成ウインドアンサンブルの楽譜を自由に書き、そろったところで
出演校に割り当てるので、演奏する側は選択の余地がありません。
あらかじめ自衛隊音楽隊の皆さんに録音していただいた音源を参考に、楽譜を読んで、生徒と取り組んでいきます。
今回は生徒の方がわかっている状況ではありますが、私なりの解釈をしっかりもって練習に臨みたいと思います。
湖南高校は、村松先生が同じ松下倫士さんの「ル・シャン~」を選んで、定期演奏会で披露し、来月の中日吹県大会と高松でおこなわれる全国高文祭、それから夏のコンクール(今年は西部大会がシードで県大会からです)で演奏することになっています。
奇しくも同じ作曲家。
私も、11年間私の音楽を演奏してきた湖南高校の生徒たちも、チャレンジです。
そういう意味では、私の異動はお互いに新たなステージにすすむための機会、と、とらえることができると思います。
そして湖東高校の生徒たち。
音楽を私とともに新たにつくっていく機会です。
どのぐらい勉強しているか、わかりませんが、
学校の中心は授業。
授業の総まとめがテストです。
テストにしっかり取り組むことがすなわち高校生である一番の証。
好き嫌い、得意不得意は関係ありません。
私は授業が好きで、いつも興味深く受けていました。
得意な科目は、日本史と世界史、それに政治経済。
苦手な科目は、数学と理科(生物・地学)でしたが、
嫌いではありませんでした。
生物の中の遺伝のテストは、定期テストで5点。
何もわからなかったのですが、追試のために猛勉強したところ、
途中でどんどん理解が進み、楽しくなってきて、追試は満点でした。
もともと何かを知ったり理解したりするのが好きで、
そのために努力することをいとわない性格。
要するにジャンルを問わないオタク気質ということです。
数学も、数列の小テストで5回連続0点を取ったことがありますが、
それでも、初歩の初歩が理解できたときは本当にうれしかったです。
勉強はつらいもの、つまらないもの、嫌いなもの、にしているのは、
実は大人なのかもしれません。
本来学問は楽しいもの。
私は少なくともそう思っていますし、先生方の大半はそのように思って教師をしているのではないかと思います。
午前中に近くの理容店へ行って髪を切ってきました。
次に行けるのは、おそらく6月末。
私はくせ毛なので、そこまでほっとくと大変なことになります。
同い年の、もう30年お願いしている理容師さんです。
午後は簡単に昼食をとったあと、
スコアを出してきて読みました。
湖東高校の定期演奏会とコンクールで演奏する、「天女の舞」とマーチ「メモリーズ・リフレイン」です。
「天女の舞」は、前もお話ししましたが、松下倫士さんの曲。
もともとはアンサンブル曲で、この楽譜も11人で演奏できるように書かれています。
生徒たちは昨年11月の吹奏楽祭で演奏していて、湖南高校に次ぐ準グランプリを獲得しています。
今の編成から考えて、違う曲もと思ったのですが、
7月13日の定期演奏会からコンクールまで3週間弱。
定期演奏会の曲もまだ全然間に合っていないので、
2・3年生が一度仕上げたことのあるこの曲にしました。
私はコンクールではほとんどクラシックのアレンジ曲しか演奏したことがないので、
この曲の譜読みがめちゃめちゃ大変です。
何度も譜面を読み返し、ある程度イメージできたところで音源を聴きながら確認していきました。
さらにこれから生徒たちがどう演奏しているかを聴きとっていかなくてはなりません。
バンド維新を思い出します。
バンド維新は、作曲家の方々が小編成ウインドアンサンブルの楽譜を自由に書き、そろったところで
出演校に割り当てるので、演奏する側は選択の余地がありません。
あらかじめ自衛隊音楽隊の皆さんに録音していただいた音源を参考に、楽譜を読んで、生徒と取り組んでいきます。
今回は生徒の方がわかっている状況ではありますが、私なりの解釈をしっかりもって練習に臨みたいと思います。
湖南高校は、村松先生が同じ松下倫士さんの「ル・シャン~」を選んで、定期演奏会で披露し、来月の中日吹県大会と高松でおこなわれる全国高文祭、それから夏のコンクール(今年は西部大会がシードで県大会からです)で演奏することになっています。
奇しくも同じ作曲家。
私も、11年間私の音楽を演奏してきた湖南高校の生徒たちも、チャレンジです。
そういう意味では、私の異動はお互いに新たなステージにすすむための機会、と、とらえることができると思います。
そして湖東高校の生徒たち。
音楽を私とともに新たにつくっていく機会です。
naiyaseifu at 17:41|この記事のURL│Comments(0)
2025年05月17日
期待が大きければ、必ず応える
今日湖東高校はテスト前の休みです。
私は、骨折から1週間経って、整形外科に診察に行きました。
ひびが広がっている、ということで、とりあえず今の、足を半分固定する方法を継続するが、
今後の状況によっては違う形になるかもしれない、と、いう診断でした。
血流の悪いところなので治りにくい、とも言われました。
まだまだかかりそうです。
先週の金曜日に骨折し、2日間静養していましたが、月曜日から出勤。
普通に授業をこなし、部活動にも顔を出していましたので、よくなることはありませんね。
ただ、治療が長期にわたることを思うと、転勤したばかりでやたらに休むこともできません。
仕事をしつつ、治癒するのを待つ形になると思います。
本格的な骨折が初めてで、どのぐらいかかるのか、どういうことに気をつけたらいいかもわからないので、とにかくこのままでいくしかないと思っています。
多少の不便はありますが、生活に大きな支障はありません。
行きは妻に送ってもらったのですが、そのあと用事があるということで、
帰りはタクシーを呼びましたが、これがなかなか来ません。
街中のクリニックなのですぐに来ると思ったら大間違い。
台数がそもそも少なく、雨で利用者が急増しているとのこと。
結局1時間ほどかかってやっと乗ることができました。
運転手さんに聞くと、浜松駅前のタクシー乗り場はすでに大行列。
さらに、エコパでおこなわれる韓国のアイドルグループの公演を観るため浜松に大挙して宿泊している若い女性がやはりタクシーで浜松駅まで利用しているようで、
その送迎が大変だった、と言っていました。
そういえば、毎年この金・土・日にアクトシティでおこなわれている日本吹奏楽指導者クリニックも、その影響で、宿泊が確保できないということで来年に延期になりました。
ただ、今日は招いてしまったアメリカの大学の吹奏楽団の特別コンサートがあるということで、
すでに昨年から宿泊の予約をしていた全国の指導者の方々が予定通り浜松に来ているとのこと。
熱心ですね。
地元で素晴らしいイベントが開催されていますが、私は勤務の関係で数年に一度しか行けていません。
浜北西高校時は1998年から毎年10年ほど参加したのですが、そのときは三重県の合歓の郷が会場でした。
音楽大学卒業後指導者に入られている方々は、全国にいる知り合いと会うのが大きな目的ということで昨日から集まっておられるようですが、
私のように、一般大学から国語の教員になり、指導者として認識されるようになったのが遅いものは、バンドクリニックコンサートに行ってもあまり知り合いがいませんし、けがをしているので、不参加です。
指導者として認識されるのが遅くなった理由として、コンクールの指揮をしていなかったことがあります。
1993年の浜北西高校赴任時には、古橋迪夫先生という公立中学校で実績のあるかたが常任指揮者をしておられ、さらにOB指導者として、現ドルチェウインドオーケストラ音楽監督の清水和宏さんがおられました。
1998年に古橋先生がご退職なさったあとは清水さんが指導者を引き継ぎ、私が初めて夏のコンクールの指揮をしたのは、2006年43歳の時。62歳にして、まだ19年のキャリアしかありません。
東海大会に初めて出たのは、2011年。
そこから3年連続で東海大会に出て、浜北西高校吹奏楽部とともに認識していただけるようになりました。
バンド維新やトップコンサートなど、そのころの動画がたくさん上がっています。
11年在籍した湖南高校では、東海大会1回、中日吹本大会金賞3回、東海アンサンブルコンテスト3団体出場などの成果を挙げることができました。
なによりも、西部地区の高校でも一、二を争う人気の定期演奏会を毎年開催することができました。
定年退職したあとは、兄と妹に任せきりになっている高齢の両親の世話を少しでも、
それから、結婚して32年間ほぼ未亡人状態だった妻と、体がきくうちに旅行などをしようと思っていましたが、かつての名門湖東高校に赴任したことでそれはお預けとなりました。
次の定年退職まであと4年。
それまで湖東高校吹奏楽部をどうしていこうか、思案しています。
期待が大きければ、必ず応えます。
私は、骨折から1週間経って、整形外科に診察に行きました。
ひびが広がっている、ということで、とりあえず今の、足を半分固定する方法を継続するが、
今後の状況によっては違う形になるかもしれない、と、いう診断でした。
血流の悪いところなので治りにくい、とも言われました。
まだまだかかりそうです。
先週の金曜日に骨折し、2日間静養していましたが、月曜日から出勤。
普通に授業をこなし、部活動にも顔を出していましたので、よくなることはありませんね。
ただ、治療が長期にわたることを思うと、転勤したばかりでやたらに休むこともできません。
仕事をしつつ、治癒するのを待つ形になると思います。
本格的な骨折が初めてで、どのぐらいかかるのか、どういうことに気をつけたらいいかもわからないので、とにかくこのままでいくしかないと思っています。
多少の不便はありますが、生活に大きな支障はありません。
行きは妻に送ってもらったのですが、そのあと用事があるということで、
帰りはタクシーを呼びましたが、これがなかなか来ません。
街中のクリニックなのですぐに来ると思ったら大間違い。
台数がそもそも少なく、雨で利用者が急増しているとのこと。
結局1時間ほどかかってやっと乗ることができました。
運転手さんに聞くと、浜松駅前のタクシー乗り場はすでに大行列。
さらに、エコパでおこなわれる韓国のアイドルグループの公演を観るため浜松に大挙して宿泊している若い女性がやはりタクシーで浜松駅まで利用しているようで、
その送迎が大変だった、と言っていました。
そういえば、毎年この金・土・日にアクトシティでおこなわれている日本吹奏楽指導者クリニックも、その影響で、宿泊が確保できないということで来年に延期になりました。
ただ、今日は招いてしまったアメリカの大学の吹奏楽団の特別コンサートがあるということで、
すでに昨年から宿泊の予約をしていた全国の指導者の方々が予定通り浜松に来ているとのこと。
熱心ですね。
地元で素晴らしいイベントが開催されていますが、私は勤務の関係で数年に一度しか行けていません。
浜北西高校時は1998年から毎年10年ほど参加したのですが、そのときは三重県の合歓の郷が会場でした。
音楽大学卒業後指導者に入られている方々は、全国にいる知り合いと会うのが大きな目的ということで昨日から集まっておられるようですが、
私のように、一般大学から国語の教員になり、指導者として認識されるようになったのが遅いものは、バンドクリニックコンサートに行ってもあまり知り合いがいませんし、けがをしているので、不参加です。
指導者として認識されるのが遅くなった理由として、コンクールの指揮をしていなかったことがあります。
1993年の浜北西高校赴任時には、古橋迪夫先生という公立中学校で実績のあるかたが常任指揮者をしておられ、さらにOB指導者として、現ドルチェウインドオーケストラ音楽監督の清水和宏さんがおられました。
1998年に古橋先生がご退職なさったあとは清水さんが指導者を引き継ぎ、私が初めて夏のコンクールの指揮をしたのは、2006年43歳の時。62歳にして、まだ19年のキャリアしかありません。
東海大会に初めて出たのは、2011年。
そこから3年連続で東海大会に出て、浜北西高校吹奏楽部とともに認識していただけるようになりました。
バンド維新やトップコンサートなど、そのころの動画がたくさん上がっています。
11年在籍した湖南高校では、東海大会1回、中日吹本大会金賞3回、東海アンサンブルコンテスト3団体出場などの成果を挙げることができました。
なによりも、西部地区の高校でも一、二を争う人気の定期演奏会を毎年開催することができました。
定年退職したあとは、兄と妹に任せきりになっている高齢の両親の世話を少しでも、
それから、結婚して32年間ほぼ未亡人状態だった妻と、体がきくうちに旅行などをしようと思っていましたが、かつての名門湖東高校に赴任したことでそれはお預けとなりました。
次の定年退職まであと4年。
それまで湖東高校吹奏楽部をどうしていこうか、思案しています。
期待が大きければ、必ず応えます。
naiyaseifu at 16:45|この記事のURL│Comments(0)
2025年05月16日
怪我の功名、みたび
今日湖東高校は、テスト前の一時間練習でした。
1年生初心者男子3人の楽器決めのためのオーディションでした。
2人がトランペット、1人がチューバに決まりました。
湖東高校は初心者が多いのですが、上達が早いです。
私がいたころの浜北西高校や数年前の湖南高校は部員が学年30人を超えていて、
しかも8割以上が経験者でしたので、
じっくり練習できたはずですが、逆にさしせまって上達しなければならないプレッシャーが少なく、
結果的に上達が遅くなる、ということがありました。
湖東高校は、3年生が引退してしまうと、今日の3人が、それぞれトランペットとチューバの唯一のメンバーになります。
心配もあるでしょうが、がんばるしかありません。
必ず上達してくれるものと信じています。
また、私も指導をしっかりしていきたいと思います。
湖南高校も、昨年は人数が少なくて、今までで初めて1年生の初心者もコンクールメンバーとしてステージに乗せました。
すると、練習を重ねていくうちに、経験者とひけをとらないぐらいに演奏能力が向上してきました。
中日吹県大会2位、夏のコンクール西部大会1位、県大会9位の原動力になりました。
以前の初心者の生徒も、コンクールの練習に入れれば、大会に乗る乗らないは別にして、上達が早かったのではないかと思うと、後悔があります。
楽器を持って最初の数か月間、どれほど真剣に練習するかが、大切です。
このブログを見た、と言って、たくさんの人が私のところに「骨折したんですね?大丈夫ですか?」とSNSで連絡をくださるようになりました。
今日も、トレーナーの生方先生、浜北西高校吹奏楽部マーチングトレーナーの卒業生が連絡をくれました。
とてもうれしいです。
さらに、家の近所にあってしょっちゅう行っているコンビニで、仕事はできるけどあまり愛想がいいとはいえない店員さんが、「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
これも、怪我の功名です。。
特に骨折はみなさん本当に心配してくれて、
痛みもあり、歩くのも大変ではありますが、こうしてとてもうれしくありがたい気持ちになります。
1年生初心者男子3人の楽器決めのためのオーディションでした。
2人がトランペット、1人がチューバに決まりました。
湖東高校は初心者が多いのですが、上達が早いです。
私がいたころの浜北西高校や数年前の湖南高校は部員が学年30人を超えていて、
しかも8割以上が経験者でしたので、
じっくり練習できたはずですが、逆にさしせまって上達しなければならないプレッシャーが少なく、
結果的に上達が遅くなる、ということがありました。
湖東高校は、3年生が引退してしまうと、今日の3人が、それぞれトランペットとチューバの唯一のメンバーになります。
心配もあるでしょうが、がんばるしかありません。
必ず上達してくれるものと信じています。
また、私も指導をしっかりしていきたいと思います。
湖南高校も、昨年は人数が少なくて、今までで初めて1年生の初心者もコンクールメンバーとしてステージに乗せました。
すると、練習を重ねていくうちに、経験者とひけをとらないぐらいに演奏能力が向上してきました。
中日吹県大会2位、夏のコンクール西部大会1位、県大会9位の原動力になりました。
以前の初心者の生徒も、コンクールの練習に入れれば、大会に乗る乗らないは別にして、上達が早かったのではないかと思うと、後悔があります。
楽器を持って最初の数か月間、どれほど真剣に練習するかが、大切です。
このブログを見た、と言って、たくさんの人が私のところに「骨折したんですね?大丈夫ですか?」とSNSで連絡をくださるようになりました。
今日も、トレーナーの生方先生、浜北西高校吹奏楽部マーチングトレーナーの卒業生が連絡をくれました。
とてもうれしいです。
さらに、家の近所にあってしょっちゅう行っているコンビニで、仕事はできるけどあまり愛想がいいとはいえない店員さんが、「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
これも、怪我の功名です。。
特に骨折はみなさん本当に心配してくれて、
痛みもあり、歩くのも大変ではありますが、こうしてとてもうれしくありがたい気持ちになります。
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2025年05月15日
必ず結果にコミットします
今日湖東高校は、テスト前の1時間練習。
昨日戸締まりのことをグーグルで知らせたところ、
今日は時間通りカギを持ってきましたが、
最後に残った人でなく、部長が持ってくることに。
もう少しルール化する必要があります。
でも、注意したことはすぐ改善するのはとてもいいと思います。
今日は朝から足に激痛が走っていましたが、
テスト前ということでなんとか出勤してすべての授業をこなしました。
緊張感があまりない生徒がいたので、あえて痛い足をひきずりながら注意して回りました。
湖東高校、まずここからですね。
学校生活の中心は、行事や部活動ではなく、授業です。
授業への取り組みがさらによくなると、学校全体の雰囲気が変わるはずです。
勤務時間が終わってから、雄踏文化センターに向かいました。
湖南高校が全国高総文祭に行っている期間に予約してあったホールや会議室をキャンセルするというので、
一部湖東高校で使わせてもらおうということで空いたところの一部を予約させてもらいました。
もともと昨年の7月に私が予約したところ。
そのときには、高文祭に出場することも、そして私が湖東高校に転出することもまったくイメージせずに予約をし、
今年のコンクールに向けてホールや会議室をどう使ってどのように練習を進めていくかを考えていました。
人生、まだまだ先がわかりません。
ホールが取れたところで、コンクールの練習のイメージが徐々にできてきました。
やはり、私は吹奏族。
必ず、結果にコミットします。
昨日戸締まりのことをグーグルで知らせたところ、
今日は時間通りカギを持ってきましたが、
最後に残った人でなく、部長が持ってくることに。
もう少しルール化する必要があります。
でも、注意したことはすぐ改善するのはとてもいいと思います。
今日は朝から足に激痛が走っていましたが、
テスト前ということでなんとか出勤してすべての授業をこなしました。
緊張感があまりない生徒がいたので、あえて痛い足をひきずりながら注意して回りました。
湖東高校、まずここからですね。
学校生活の中心は、行事や部活動ではなく、授業です。
授業への取り組みがさらによくなると、学校全体の雰囲気が変わるはずです。
勤務時間が終わってから、雄踏文化センターに向かいました。
湖南高校が全国高総文祭に行っている期間に予約してあったホールや会議室をキャンセルするというので、
一部湖東高校で使わせてもらおうということで空いたところの一部を予約させてもらいました。
もともと昨年の7月に私が予約したところ。
そのときには、高文祭に出場することも、そして私が湖東高校に転出することもまったくイメージせずに予約をし、
今年のコンクールに向けてホールや会議室をどう使ってどのように練習を進めていくかを考えていました。
人生、まだまだ先がわかりません。
ホールが取れたところで、コンクールの練習のイメージが徐々にできてきました。
やはり、私は吹奏族。
必ず、結果にコミットします。
naiyaseifu at 20:08|この記事のURL│Comments(0)
2025年05月14日
波風が立つのをいとわない
今日出勤すると、昨日出張でおられなかった3年の学年主任の先生から、「大丈夫ですか?何かあったら言ってください!」と声をかけてもらいました。
ありがたい。「続・怪我の功名」です。
本当に職員室の雰囲気がいいです。
私は一日中くだらない冗談を言っているのですが、皆さん温かく受け止めてくださいます。
今日湖東高校は、テスト前の調整練習で1時間ほど音出しをしました。
昨日戸締まりがあまりよくなかったので、グーグルクラスルームを使って、
黎明館の使い方について、あらためて注意しました。
いい演奏をするためには、まず楽器を持つ以前のところからよくしていかなければなりません。
ニコニコしながら合奏をしているだけでは、お客様にうったえる感動的な演奏はできません。
授業も少しずつ思ったことをはっきり伝えるようになりました。
1ヶ月半経ち、生徒との関係も深まってきました。
でも、親しくなったからといって、なんでもなあなあにするわけではありせん。
今までは、表面的な言い方をしてきましたが、これからが、本当の関係です。
授業も、ちゃんと聞かずにいて、あてられたら急に周りの生徒に質問の内容や答えを聞いたり、
適当に教科書にある言葉を言って、答えました、という顔をしている生徒がいたら、注意します。
「波風が立つのをいとわない」のが私の方針です。
保護者の方はちゃんと勉強してほしいはずですし、なによりもうすぐ成人を迎える本人にとっていいことではありません。
授業料無償化で、ますます生徒が学ぶ責任は大きくなりました。
もはや高校で学ぶことは自分のためだけではなくなったのです。
うがった言い方をすれば、国民がスポンサーとなって高校生を育てることになったのです。
テレビ番組でも、イベントでも、スポーツでも、スポンサーの期待に応えなければ、資金を引きあげられてしまいます。
服装もそうです。
制服がある以上、きちんと着るのがあたりまえです。
制服のある職場で着崩していたら、間違いなく注意されるか、お客様のSNSで炎上します。
高校は人生の予行演習の場でもあります。
湖東高校では年数回「私服デー」というものを設けているということを今日知りました。
制服を着るストレスから解放し、着こなしを考える機会ということです。
他校でも実践しているところがあり、なかなか好評だと聞いています。
おもしろい企画で、どうなるか楽しみです。
さらに言えば、湖東高校の制服を着る意味をあらためて認識する機会にもなると思います。
制服を着るのがストレスではなく、むしろ誇りになり。生徒の方から、一日たりとも制服を着ない日はいらない、と、いうほどの強いステータスが生まれてくれればそれはそれですばらしいことです。
王・長嶋がいて圧倒的に強かった巨人のユニフォームにあこがれてプロ野球に入った選手が多かったと聞いたことがあります。
サッカー部でも、昔は練習着にACミランやバルセロナ、アルゼンチン代表などのレプリカユニフォームを着て練習している生徒が多くいました。
最近はクールビズということで、先生方も夏はノーネクタイでいるように管理職の方から言われます。
が、私は一年中ネクタイをします。逆らっているわけではありません(笑)
3週間に1度はノーネクタイのスタンドカラーの日がありますが、単にÝシャツのローテーションの関係でやむなくです。家庭の事情です。
教員になるときに、大学のオーケストラ部の同級生から、「生徒に服装のことを言って、先生が汚いジャージを着ているのとか許せなかった。内野君はちゃんとしててよ。」
と言われたのを、新規採用から退職後まで守ってきました。もっともだと思ったからです。
休みの日も、ネクタイをしてきます。
湖南高校で私の副顧問を務めてくれた現焼津水産高校の村松宏樹先生や、現壱岐高校の後藤大地先生も、最初はノーネクタイだったのですが、次第にネクタイを着用するようになりました。
押しつけたわけではないのですが、自然に感じるものがあったのではないかと思います。
「教師はネクタイをしなければならない」と、決して思っているわけではありません。
あくまでも私のこだわりを、お二人の先生がリスペクトして受け継いでくれたと思っています。
そう、このリスペクトこそが、制服に必要だと思います。
湖東高校にあこがれ、湖東高校の一員となってあの制服を着たい、と思ってもらえるようになってほしいと思います。
ありがたい。「続・怪我の功名」です。
本当に職員室の雰囲気がいいです。
私は一日中くだらない冗談を言っているのですが、皆さん温かく受け止めてくださいます。
今日湖東高校は、テスト前の調整練習で1時間ほど音出しをしました。
昨日戸締まりがあまりよくなかったので、グーグルクラスルームを使って、
黎明館の使い方について、あらためて注意しました。
いい演奏をするためには、まず楽器を持つ以前のところからよくしていかなければなりません。
ニコニコしながら合奏をしているだけでは、お客様にうったえる感動的な演奏はできません。
授業も少しずつ思ったことをはっきり伝えるようになりました。
1ヶ月半経ち、生徒との関係も深まってきました。
でも、親しくなったからといって、なんでもなあなあにするわけではありせん。
今までは、表面的な言い方をしてきましたが、これからが、本当の関係です。
授業も、ちゃんと聞かずにいて、あてられたら急に周りの生徒に質問の内容や答えを聞いたり、
適当に教科書にある言葉を言って、答えました、という顔をしている生徒がいたら、注意します。
「波風が立つのをいとわない」のが私の方針です。
保護者の方はちゃんと勉強してほしいはずですし、なによりもうすぐ成人を迎える本人にとっていいことではありません。
授業料無償化で、ますます生徒が学ぶ責任は大きくなりました。
もはや高校で学ぶことは自分のためだけではなくなったのです。
うがった言い方をすれば、国民がスポンサーとなって高校生を育てることになったのです。
テレビ番組でも、イベントでも、スポーツでも、スポンサーの期待に応えなければ、資金を引きあげられてしまいます。
服装もそうです。
制服がある以上、きちんと着るのがあたりまえです。
制服のある職場で着崩していたら、間違いなく注意されるか、お客様のSNSで炎上します。
高校は人生の予行演習の場でもあります。
湖東高校では年数回「私服デー」というものを設けているということを今日知りました。
制服を着るストレスから解放し、着こなしを考える機会ということです。
他校でも実践しているところがあり、なかなか好評だと聞いています。
おもしろい企画で、どうなるか楽しみです。
さらに言えば、湖東高校の制服を着る意味をあらためて認識する機会にもなると思います。
制服を着るのがストレスではなく、むしろ誇りになり。生徒の方から、一日たりとも制服を着ない日はいらない、と、いうほどの強いステータスが生まれてくれればそれはそれですばらしいことです。
王・長嶋がいて圧倒的に強かった巨人のユニフォームにあこがれてプロ野球に入った選手が多かったと聞いたことがあります。
サッカー部でも、昔は練習着にACミランやバルセロナ、アルゼンチン代表などのレプリカユニフォームを着て練習している生徒が多くいました。
最近はクールビズということで、先生方も夏はノーネクタイでいるように管理職の方から言われます。
が、私は一年中ネクタイをします。逆らっているわけではありません(笑)
3週間に1度はノーネクタイのスタンドカラーの日がありますが、単にÝシャツのローテーションの関係でやむなくです。家庭の事情です。
教員になるときに、大学のオーケストラ部の同級生から、「生徒に服装のことを言って、先生が汚いジャージを着ているのとか許せなかった。内野君はちゃんとしててよ。」
と言われたのを、新規採用から退職後まで守ってきました。もっともだと思ったからです。
休みの日も、ネクタイをしてきます。
湖南高校で私の副顧問を務めてくれた現焼津水産高校の村松宏樹先生や、現壱岐高校の後藤大地先生も、最初はノーネクタイだったのですが、次第にネクタイを着用するようになりました。
押しつけたわけではないのですが、自然に感じるものがあったのではないかと思います。
「教師はネクタイをしなければならない」と、決して思っているわけではありません。
あくまでも私のこだわりを、お二人の先生がリスペクトして受け継いでくれたと思っています。
そう、このリスペクトこそが、制服に必要だと思います。
湖東高校にあこがれ、湖東高校の一員となってあの制服を着たい、と思ってもらえるようになってほしいと思います。
naiyaseifu at 21:08|この記事のURL│Comments(0)